ほしのまき

FB や Tw では流れてしまうので、ためておきたいことをここに書きます。

経営者と投資家の「ずれ」の源

サイボウズ山田副社長との対談記事をサイボウズ式に掲載していただきました。

「赤字って本当にいけないことですか?」東京糸井重里事務所 篠田CFO×サイボウズ 山田副社長対談 | サイボウズ式

facebook, twitter, NewsPicksで、多くの建設的な感想が寄せられ、自分の考えをさらに進めるとてもよい機会になりました。みなさま、ありがとうございます。

 

目下の私の関心事を記事から2カ所、引用します。

 

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結局、「個別事業の固有性独自性を追求する経営者」対「いろいろな事業を統一の物差しで並べて比較したい投資家」の意識の違いがあるのではないかと感じます。

投資家にとってみれば、世の中にあるたくさんの会社から投資先を選ぶ仕事なので、似ている会社を並べて統一の物差しをあてないと理解判断できなくなるわけですよね。しかし経営者は、誰でも、他社と違うことをして、差別化をして、そこで利益を出そうとします。極端に言えば「●●社に似ている」と思われたら、差別化が足りないんです。

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会社には、社員、お客さま、取引先などさまざまなステークホルダーがいます。よい会社では、長期的な利益と発展が共通の"うれしいこと"や"価値"に直結します。ところが、外部株主だけは、違った動機で関わることができ、経営への影響力も大きい。投資家は他のステークホルダーとは違って売りと買いの両方が短期間でできるため、目指すところがずれやすいのではないかと感じます。経営者も社員も顧客も変わっていないのに株主だけが入れ変わっていて、それでいながら株主の権利が一番、みたいな論調がある。資本市場はとても大事ですが、そこには疑問を感じているんです。

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こうした経営者と投資家の「ずれ」の源は何なのか。いくつか考えている角度があり、備忘録として書いておきます。

 

1.「統一の物差し」は、知的営みの成果。使い方はどうなの?

  経営に関する実績、ロジック、ストーリーテリングと三拍子揃った、大リスペクトする三枝匡さん。「三部作」と言われる小説仕立ての経営論が有名ですが、私は「『日本の経営』を創る」が大好きです。これは、と思うページの角を折っていたら、ほぼ全ページ折ってたというほど。

「日本の経営」を創る

「日本の経営」を創る

 

 

 

この本の中で、三枝さんと伊丹さんが「具体と抽象」について語っています。事業の現場では具体事象がいくつもある。これらの間に「つまり、こういうことかな」と法則性を見出し、教訓として「冷凍」する。次に別の具体事象に出会ったとき「あ、あの教訓が応用できる」と「解凍」する。すぐれた経営者は「冷凍」をたくさん持っていて「解凍」が上手だ、というような話でした。

私はインタビューで会計制度や、株価評価のロジックを「統一の物差し」表現しました。これらはまさに、先人が試行錯誤しながら「冷凍」してきた知恵のかたまりであり、知的営みの成果です。これがなかったら、事業を、会社を個別の事象としてしか理解できず、「会社」というものも、少ししか世の中に産まれなかったかもしれません。

いま、私が関心を持っているのは「解凍」のほうです。例えば、「予算」という概念が生まれたのは、20世紀初頭のアメリカ。鉄鋼や鉄道などそれまでになかった大規模事業を管理するという新しいニーズに呼応したものだ、と読んだことがあります。子ども達が通っていた保育園の保護者会にも「予算」がありましたけど、緻密に運営することにどれほど意味があったのか…。「解凍」の仕方、必ずしも最適ではなかったかもしれません。

同様に、会計制度や株価評価の手法も、「解凍」の巧拙がどうもあるんじゃないか。手法=ツールの使い方、使える場面とそうでない場面の峻別が適切になされているだろうか。そこに関心をもって見ています。

 

. 人間の営みより先にあるルール、権力と一体に見えるルールが誤解のもと

具体事象をいくつか見て「こういうことかな」と法則性を見つけ、それを次の具体事象に応用することは、とても知的な行為です。知的生産とは、具体と抽象の往復運動。

ここで大事なのは、どんな法則も、それが生まれるには、まず具体事象が先にある、ということだと考えています。具体事象はきめが細かく、法則のほうは雑、というのも、大事。

社会におけるルールも、基本的なものは同じように具体事象が先にあったはずです。長年の人間理解や社会の営みから、社会通念、社会規範が合意されたもの、それがルールです。現代の法治国家では、これをがんばって言葉にしているだけ。

ルールを作る仕事をするひとは、抽象概念の操作が得意です。まず具体、すなわち人や社会の現状を前提として、具体と抽象の往復運動を重ねながらルールができればよいのですが、人や社会の実態にじっくり向き合うような面倒なことをしなくても、ルールを作る仕事はできてしまいます。

また、社会全体に関わるルール作りやルールの運用にかかわることは、どうしても「パワー」を持つことになります。すると、人や社会の実態を見ずにルールを作って権力で押し付ける、さらにはルールで人が動く、変わるという前提で、現実には起きていない事象に対してルールを作る、ということがしたくなるし、出来るようになってしまいます。

会計は会計士という国家資格や税制と結びついたルール、株価評価のロジックは投資家のお金というパワーと結びついたルールです。資本市場でも、歴史をふり返れば、まず現実があって、それを抽象化したルールができて、そのルールと結びついたパワーが生まれたに過ぎないのに、まずパワーが前提で、そこがルールをつくって現実を動かすという、逆の「勘違い」が短期的には成立しがち。人をルールでどうにかできるなんて、ほんとうはちょっと傲慢なのにね。

こういう構造の中でやっていることを受容しつつも、現実におきている具体事象をルールでいたずらにたわめないようにする。ルールとパワーをなるべく分けながらつき合う。そんな姿勢を大事にしたいと思いますが、さて、どうやるか、に関心があります。

 

 

3.  トランザクションとコミュニケーション

 人と人の関係づくりの基本は、コミュニケーションです。経済的な関係、お金を媒介とする関係はトランザクション(取引)です。会社がさまざまなステークホルダーと取り結ぶ関係は、コミュニケーションとトランザクションが併存しています。

感覚でしかありませんが、会社と雇用者の関係では、コミュニケーションが鍵。トランザクションより重要なんじゃないか。

会社と仕入れ先、販売先の関係では、コミュニケーションとトランザクションのバランスが、業界によって、会社によってさまざまなパターンがあり得る。

親密株主は、コミュニケーションとトランザクションが同等かな。コミュニケーションのほうが重要かもしれない。

外部株主は、市場の仕組みからして、トランザクションに偏りがち。コミュニケーションがもっとも薄いステークホルダーかもしれないのに、経営への影響が強い。経営への影響力に見合うコミュニケーションを取る工夫、IRといえばそれまでだけれど、通り一遍じゃないものはあるのかな。

このように、コミュニケーションとトランザクションというのをキーワードに、自分の職場とステークホルダーの関係を考えたり、一般的な会社との対比をしてみることに関心があります。

 

それでは、ごきげんよう!