ほしのまき

FB や Tw では流れてしまうので、ためておきたいことをここに書きます。

グロービスの英語授業に「ほぼ日」が。

先日、グロービス経営大学院の授業におじゃましてきました。グロービスでは「ほぼ日刊イトイ新聞」を題材にしたケース(教材)を日英両方作ってくださっています。英語版はを使って授業を行うところを見学させてもらうことにしたのです。

「この授業は社会人学生28名が受講しています。出身国は日本含めアジア・アフリカ・欧・米の4大陸から16カ国とさまざまです。」

事前にそう知らされて、びっくりしました。グロービス、いつの間にそんなに多国籍化してたの!? 学生誘致にそうとう力を尽くされているのではないかと思います。

授業は、マーケティングがテーマの応用クラス。講師の説明、問いの投げかけ、グループ討議、クラス全体討議を織り交ぜながら進みます。

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↑一見して多国籍!

 

印象的だったのは、受講生の意見や質問が、本質に迫るかんじだったことです。

「この会社がいわゆる市場調査をしないのは、ユーザーの期待を超えるものを提供したいからだと思います」とか、

「トップページに出てくる『ダーリン』は親しみやすさ、『メニュー』は好きなコンテンツだけ楽しめばいいという意味を感じさせ、メタファーとして効果的」

なんて言う意見が、ぽんぽん出てくる。

こんな意見も出てきました。

「自分から見ると、メタファーがちょっと『やりすぎ』な感じ (pretentious) もする。このまま英語にして他の国に持っていっても、笑われちゃうかもよ」

何を言ってるんだろう、この人は。まず違和感を持ちました。でも、ちょっと考えてみれば、糸井重里というものを全く知らなければ、当然の反応です。トップページの「今日のダーリン」「今日の新メニュー」という表現は、糸井重里が日本において発信するには効果があるけれど、他の文脈では通用しないかもしれない。ほぼ日の創刊初期から読者だった私は、すっかり慣れてしまって、自分ひとりでは気づくことのできない貴重な視点をもらえました。

 

この1年ほど、ほぼ日の事業について説明する機会を時々いただくようになりました。ありがたいことです。こうした機会では、社長の与える印象が強いせいか、個人事業ではなく会社として運営していること自体に、まず驚かれます。また、社長へのリスペクトの気持ちからか、何かうまくいっているとしたら社長がすごいから/有名だからでしょ、という前提の質問を受けることも少なくありません。

そうした経験と対比して、今回、外国人学生の意見や質問から気づかされることが、たくさんありました。日本語の力が限られていて、ウェブサイト「ほぼ日」も「ほぼ日手帳」も知らない人たちが、英訳されたケースから、自分も明確に意識していなかったような洞察を提示してくれるのです。

これは、「文脈をどっぷり共有してない」から生まれた気づきであり、面白さだと思いました。外国人学生たちは、糸井重里を知らない。日本の生活文化における糸井重里の影響や位置づけを知らないから、先入観がない。事業のやっていることを知ったとき、「社長が有名だからできるんだよね」「全部、社長のヒラメキでコンテンツ作ってるんでしょう?」といった思考停止にハマらずにすむ。

かといって、文脈を全く共有していないわけではありません。彼らは、日本でMBAをとり、いずれ日本で仕事をしたいという強い動機があり、マーケティングに興味があって授業を履修しているのです。さらに、「ほぼ日」の現状という「事実」をケースの形で共有していました。

文脈をどっぷり共有していないけれど、動機や興味の方向が重なるひとと対話をすると、自分の先入観を気持ちよく取り払ってくれるような気づきが得られるのですね。

 

少し話が飛びますが、「ダイバーシティーがすすむと、イノベーションがうまれやすくなる」と短いフレーズで言い切っているものを見るたび、ちょっと気になっていました。なぜ、ダイバーシティーがすすむと、イノベーションがうまれやすくなるのでしょうか。

もう少し細かく、「ダイバーシティー」(多様性)から「イノベーション」へのつながりが説明できるかもしれない。グロービスの授業見学から得た印象を起点に考えてみました。

ダイバーシティー(多様性)とは、「文脈をどっぷり共有してない人たちがチームに参加している」ということです。性別、年齢層、人種など「多様化」の指標のように言われていることは、どれも「文脈」の代替指標なのではないでしょうか。

文脈をどっぷり共有していない人たちは、チームのそれまでの暗黙の前提を共有していません。それまで当たり前とされていたことを、知らなかったり、必ずしも共感しなかったりします。その姿勢で現状を見て、思考停止せずに「なぜ?」と問うてくれます。暗黙の前提が明示的になります。暗黙の前提の枠内で閉じていた発想では考えつきにくい、素朴なアイディアも出るでしょう。それらの質問やアイディアは、そのままでは使い物にならないことの方が多いかもしれません。これまでの文脈の「常識」「あ・うんの呼吸」を突破するきっかけには、なりそうですが、それだけと言えば、それだけ。

そうすると、ダイバーシティーがイノベーションにつながるには、他にもいくつか要素がいりそうですね。

ひとつは、文脈を共有しないメンバーからの質問やアイディアに共感するにせよ、違和感を感じるにせよ、「なぜそう感じるか」を考え、受け止め、共有し続ける姿勢です。「え?」と思うような質問に「うるさいな」と封じ込めてばかりでは、思考停止のままですよね。考え、「言われてみれば、そうだ」でもいいし、「いや、ここでは、そのようには考えないんだよ」と説明してもいい。共有し続けるうちに、そのチームにとって揺るがせにできない大事なことと、変えてもかまわない枝葉の部分が、少しずつ明らかになるのではないでしょうか。

もうひとつは、「多様性」とは言っても、チームの価値観や動機を共有できる人たちでないと、成果を出すのは難しくなる、ということ。グロービスの外国人学生の例でいえば、糸井重里の存在感はまったく共有していないけれど、マーケティングへの興味や、提示された事実から学ぼうとする姿勢は共有できていました。多様性と価値観の共有、一見、逆説的なようですが、多様性のあるチームで仕事をすすめていくと、揺るがせにできない価値観や動機などが絞り込まれて明確になる。その絞り込まれた価値観は死守するように新しいメンバーを探すと、他の属性は多様になる。こんな循環になりそうです。例えば「とにかく女性を増やせ」という取り組みが乱暴だなあ、と感じてしまうのは、このあたりのダイナミクスへの配慮が読み取れないからなんだと思います。

 さらに、「変わりたい」「現状を突破したい」という本気の「問い」がチームに共有されていないと、メンバーの多様性イノベーションに結びつきません。「問い」が本気であればこそ、「多様性」がもたらす素朴な疑問やアイディアをきっかけに、みんなに共通する「普遍のテーマ」を追求する方向に話が転がり、本質的なイノベーションに一歩近づきます。

 

3時間の授業の見学から、いろいろ考えを深めるきっかけを頂けました。ありがとうございました。